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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3693号 判決 1958年10月03日

原告 渡部常子

被告 宗川留吉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、別紙記載の建物部分を明渡し、かつ昭和三十一年十二月一日から右明渡しずみまで、一カ月一万二千円の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、「原告は被告に対して、別紙目録記載の建物部分(以下単に本件建物という)を、昭和三十年十一月八日賃料一カ月一万二千円毎月末日払いとして、期間の定めなく賃貸した。被告は昭和三十一年十二月分からの賃料を支払わない。よつて原告は、昭和三十二年四月三十日被告到達の内容証明郵便をもつて、昭和三十一年十二月から昭和三十二年四月分迄の賃料六万円を、三日以内に支払うよう催告し、同年五月九日被告に到達した内容証明郵便をもつて、賃料不払いを原因にして、本件賃貸借解除の意思表示をした。よつて被告に対し本件建物の明渡しと、昭和三十一年十二月一日から右契約解除の日まで賃料として一カ月一万二千円の割合による金員ならびにその翌日から本件建物明渡しずみまで、右同額の割合による損害金の支払いを求める。」と述べ、被告が主張する事実のうち「本件建物についての賃貸借の話が、建物完成前からあり、その頃は建物の階下全部を権利金十五万円、敷金十万円賃料一カ月一万円という話であつたこと、その後原告が、階下の右半分を理髪業を始めるため佐藤豊に賃貸したこと、被告が賃借部分で生花販売業を営むこと、本件賃貸借が成立した当時原告が子供三名と四人で、二階の四畳半室と三畳室を使用したこと、電燈料はメーターが一つであつたため全部を被告が負担する約束をしたこと、権利金が二十一万五千円であつたこと、原告使用の二階三畳室を他に賃貸したこと、被告が昭和三十二年四月二十二日四万円を弁済供託したこと、以上の事実は認めるが、そのよの事実と抗弁は否認する。」と述べ、原告は証拠として、本人尋問の結果を援用し、「乙第一号証から第三号証、第四号証の一、二の成立(乙第二号証の原本の存在)を認め、第五号証の一から九、第六号証の一から三の成立は知らない。」と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、「被告が原告から昭和三十年十一月八日、本件建物を賃料一カ月一万二千円で、期間の定めなく賃借した事実及び原告主張の二つの内容証明郵便が被告に到達した事実は認める。」と述べ、さらに次のとおり述べた。

被告が原告から昭和三十年十一月八日本件建物を賃借したその前、すなわち原告が本件建物を建築しつつあつたころ、被告は原告に対し、別紙目録記載の建物の階下全部を生花販売業に使用するため賃借を申し込んだところ、原告は階下全部を、権利金十五万円、敷金十万円、賃料一カ月一万円(但し電話つき)で貸すといつた。ところが建築が完成した頃原告は被告に対し、「親戚の者が階下の半分を理髪店につかいたいというから、残りの半分と二階四畳半一室(二階は四畳半二室と三畳一室である)を被告に貸す。」といつてきた。被告はこれを承諾し、昭和三十年十一月八日階下南側の半分六坪余(但し階下の二店舗の中間には、二階に上る階段があるから、店舗部分の実測は五坪七合五勺である。)と二階四畳半一室を、権利金二十一万五千円賃料一カ月一万二千円(但し電話つきの約束)、賃料は翌月十日迄に前月分を支払う約束で借りた。但し右賃貸借成立当時店舗の部分は荒壁と骨組みだけしかできていなかつたので、仕上げは被告が自費でやる、電燈料は、当時メーターが一つでありかたがた原告は子供三人暮しで小人数であつたから、全部被告が負担する、ということも約束した。そして右権利金は、契約成立の前二回にわたつて、既に原告に支払つた。

ところが原告は約束の電話をつけず、その上自分が使つていた二階三畳室を学生に貸間した。被告としては電話があるとないのとでは収益に相当の影響があるし、夜おそくまで勉強する学生がいては、電気の消費量も多くなるので、昭和三十一年十一月下旬原告に対し、一カ月の賃料を将来一万円に値下げするよう請求した。すると原告はかえつて値上げを要求したから、被告は昭和三十二年四月二十日に、昭和三十一年十二月分から昭和三十二年三月分まで月一万円の割合で、本件建物の賃料を弁済のため東京法務局へ供託した。

被告は本件建物の店舗の部分を仕上げるため十二万円の費用をかけ、また生花販売営業の基礎をつくるために百万円の経費を支出した。そのほか被告は原告に対し、昭和三十二年五月十四日附書面をもつて、右供託の事実を知らせ、もし賃料に不足があればいつでも不足分を支払う用意のあることを告げておいた。以上が事実の真相と経過である。よつて被告は次のように主張する。

一、被告が原告に対し昭和三十一年十一月下旬頃した減額の請求によつて、本件建物の賃料は同年十二月分以降一カ月一万円になつた。したがつて原告が一カ月一万二千円の割合で賃料の支払いを催告しても、その催告はいわゆる過大の催告であるからその効果を生ぜず、したがつて契約解除の効果も生じない。

二、仮りに、右主張が認められないとしても、本件賃料の支払日は、前述のとおり、当月分を翌月十日に支払う契約であつたから、昭和三十二年四月分の賃料支払日は、翌五月十日である。したがつて原告が、昭和三十一年十二月分から翌三十二年四月分の賃料を到達後三日以内すなわち昭和三十二年五月四日迄に支払うようした催告は、四月分の賃料についてはいまだ履行期が到来していないから、右催告を基にしてした契約解除の意思表示はその効果を生じない。

三、仮りに右主張も認められないとすれば、原告は権利金二十一万五千円を受取つている。また被告は前述のとおり十二万円及び百万円の経費をかけた。被告が減額の請求をした事情は前記のとおりであつて、その差額は月額二千円である。被告が供託した賃料額は、約定賃料にくらべて月額二千円宛少いとはいえ、被告は原告から催告状をもらう前に、原告が賃料の受領を拒絶したから供託した。このような事実のもとにおける原告の解除権の行使は、信義則に反するかまたは権利の濫用であるから、契約解除の効果を生じない。

以上のとおり述べて、証拠として、乙第一号証から第三号証(第二号証は写)、第四号証の一、二、第五号証の一から九、第六号証の一から三を提出し、証人宗川スイ、阿部秀雄の証言ならびに被告本人尋問の結果を援用した。

理由

本件建物につき原告と被告との間で、昭和三十年十一月八日、賃料一カ月一万二千円、期間の定めのない賃貸借が成立し、被告がこれを借りうけた事実は、当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第一号証、原本の存在に争いのない乙第二号証、乙第三号証、証人宗川スイの証言と原被告各本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

被告は昭和三十年当時地下鉄神田駅構内に、生花の販売店をもつていたが、その店はいつまでも続けられない事情があつた。同年八月頃被告は、かねて知り合いであつた原告が別紙目録記載の建物の建築に着手したことを知り、原告に対し、完成したときはその建物の階下全部を、生花販売の店に借りたいと申入れ、原告もこれを承知して、権利金十五万円、敷金十万円、賃料一カ月一万円という予約ができた。(以上の事実のうち、賃貸借の予約成立とその条項については当事者間に争いがない)。それから約二週間ほど後に被告は原告から「電話が当つているから引いて上げる」といわれて喜び、そのとき契約金という名目で十万円を原告に支払つた。その後原告あるいはその母親は被告に対し「資金が不足している」という趣旨を訴えたので、被告は同年九月別紙目録記載の建物の上棟式が行なわれた頃、原告に契約金という名目で十万円を渡し、この金で電話を引くことをたのんだところ、原告は大丈夫だという趣旨の返事を与えて、これを受取つた。同年十一月初め別紙目録記載の建物の建築工事がほゞ終つた頃、前記の予約は当事者の合意で、被告の賃借部分を南側半分すなわち建坪六坪二合五勺、二階六坪二合五勺の範囲と改め、同月八日被告がこの部分へ引越した。なおその日に、被告が原告に対し権利金二十一万五千円を支払うことを約し、その支払いとして、前に被告が原告に交付した契約金二十万円を充て、ほかに不足分一万五千円を加えて支払つた。その月の月末になつて被告が原告に賃料をきめてもらうべく交渉したところ、原告は月一万四千円といつたが、被告は一万二千円と切り出して、結局当事者間に争いのないとおり月一万二千円にきまつた。そして電燈料金は、原告の分をも含めて被告が支払うことにきめた(以上の事実のうち賃貸借成立の日と目的物の範囲、賃料と権利金の額及び電燈料金負担についての特約は、当事者間に争いがない)。なおそのとき被告が原告に、電話はどうなつたかと聞いたところ、原告は「おじさん悪いけれどあれは流してしまつた。なんとかいう申請をすると復活するというから、必ずつけるようにする。」という趣旨の答えをした。原告は昭和三十一年十一月下旬被告に対し、賃料を月一万四千円に増額することを申し入れたところ、被告は「値上げどころか、電話がなくて営業にもさしつかえている。原告が二階の一室を学生に貸間しているから、電気料金が多くかかる。賃料は一万円にしてもらいたい。」という趣旨の返事をしたため、そのとき額はいずれともきまらなかつた。翌十二月分以降の賃料を被告に提供したが、原告は「話しがきまらなければ受取れない」あるいは「後で相談してから返事する。」とかいつて、受領を拒んだ。被告は昭和三十二年四月二十二日、東京法務局へ本件建物の賃料として、昭和三十一年十二月分から翌三十二年三月分まで、一カ月一万円の割合による四万円を供託した(供託の事実は、当事者間に争いがない)。

以上の事実が認められるのであつて、右事実認定に反する原告本人の供述の一部は信用できず、他に右認定を覆すことのできる証拠はない。

右認定した事実によれば、原告と被告は、原告が別紙目録記載の建物に電話を架設して、これを被告の営業のため被告に使用させることを暗黙に合意し(電話使用料金の分担については特別のきめをしない)、賃料月一万二千円となつたのは、被告が電話を利用することができるたてまえで決められたものと認められる。そして被告は、原告がなんとかして電話を架設するといいながら一年たつても実行しなかつたので、昭和三十一年十一月下旬原告に対し口頭をもつて、賃料を一カ月一万円に減額請求したことがわかる。

借家法第七条に、賃貸借の当事者が互いに賃料の増減額の請求をすることができることをきめてあるが、必ずしも同条にいう租税等の増減その他の場合に限らず、およそ賃料決定と相関々係にたつ一切の経済事情の変動もその事由にすることができると解するのである。はたしてそうだとすれば、原告が商人である被告と、別紙目録記載の建物に電話を架設して、これを被告の営業のため使用させるという約束のもとに賃料を一カ月一万二千円と決めておきながら、それから一年たつてもこれを実行しなかつたときは、始めに決めた賃料でいつまでも被告をしばることは不公平である。つまり本件のような場合でも、賃料が決定された後に経済事情の変動が生じたものとして、減額事由の存在を認めるが相当と解するのである。

次に、いくらが相当の賃料であるかについて判断するが、弁論の全趣旨及び被告が権利金二十一万五千円を原告に支払い、かつ原告側の費消した電気料金も被告が負担している事実等を合せ考えると、本件建物についての賃料は一カ月一万円をもつて相当と認める。つまり本件建物の賃料は、昭和三十一年十二月分からは一カ月一万円に減額されたわけである。

前段に認定したとおり、被告は右割合による賃料を原告に提供したところ、原告が受領を拒んだから、その弁済として昭和三十二年四月二十日東京法務局へ、昭和三十一年十二月分から翌三十二年三月分まで一カ月一万円の割合による賃料合計四万円を供託した(供託の事実は、当事者間に争いがない)から、その範囲で被告の賃料債務は消滅した。

してみると原告が、昭和三十二年四月三十日被告に到達した内容証明郵便をもつて、昭和三十一年十二月から翌三十二年四月分までの賃料一カ月一万二千円の割合による支払いの催告(この催告のあつたことは、当事者間に争いがない)は、いわゆる過大な催告であるからその効力なく、したがつて右催告を前提にして、原告が被告に対し同年五月九日到達の内容証明郵便をもつてした契約解除の意思表示(この意思表示到達の事実も当事者間に争いがない)は、その効果を生じないのである。

以上のとおり判断すると、債務不履行によつて有効に賃貸借が解除されたことを前提とする原告の本訴請求は、理由がないものとして棄却しなければならない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判官 石橋三二)

物件目録

東京都江東区深川豊洲四丁目一番地

一、木造瓦葺二階建店舗居宅 一棟

建坪 十二坪五合

二階 十二坪五合

右建物のうち西南側の半分

建坪 六坪二合五勺

二階 六坪二合五勺

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